基礎体温表を重視した不妊症、不妊治療相談トップ「不妊ルーム」紹介記事~『週刊女性』の取材記事全文を掲載!
週刊女性~取材を受けました
◆第1章◆

その瞬間――。

感極まった女性のつぶらな瞳から、一筋の涙がこぼれた。

「本当にありがとうございます。お腹の子ども……、私たち夫婦と先生、3人の子どもみたい……」

彼女はそっと自分のお腹の上に手をあて、小さな生命(いのち)を愛しそうにいつまでもさすり続けた。

それは、長い時の流れと、あの日の誓いを確かめるかのように――。

(本当によかった。奇跡のような妊娠だったからな……)

目の前に座る医師は、思わず相好を崩しながらも、ほっと安堵の息を吐いた。

*  *  *  *   *  *  *  *   *  *  *  *

生命の誕生の瞬間や女性として大きな決断の時に立ち会ってきた医師がいる。

『内科こまえクリニック』(東京都狛江市)・院長の放生(ほうじょう)勲(いさお)さん(49)は、長年にわたり不妊に悩む女性に向き合ってきた。

「主に30代を中心に40代前半の不妊で悩む女性から相談メールが寄せられます。また、何時間もかけてクリニックにやってくるご夫婦も多いんですよ」

すでに不妊のフォローアップをする内科医として各方面で名前が知れる放生さんは、これまでに『妊娠レッスン』『新・妊娠レッスン』『妊娠力』(いずれも主婦と生活社)や『妊娠入門』(幻冬舎)、また男性でも手にとりやすいと評判の一冊『妊娠力をつける』(文春新書)など、人気の本を多数出版。

このように不妊治療のエキスパートといえる放生さんも長い間、心のどこかで引っかかっていたことがある。

「自分は内科が専門。不妊治療は専門外でしたから」 と、その心境を打ち明ける。 そんな放生さんを押し上げ たのが、相談件数の多さと妊娠にいたるその実績だ。 詳しく記すと、フォローアップを手掛けたこの10年の記録は、受診者数5177件、フォローアップしたのが約2300人。そして妊娠反応が出たのが1137人にもぼる(2010年1月31日現在)。

この数にピンとこないかもしれないが、ここは内科。近所の町の先生のひとりとして、風邪を引いたり、持病を抱えるお年寄りが多いクリニックだ。それならば、なぜ不妊に悩む女性たちはこの内科医を求めるのか? 

「実は私自身、4年間の不妊治療の体験があるんです」 と、打ち明けられた。

「不妊治療を受けているときには、想像を絶するような場面に出くわしました。最後には゛自由診療なんだ。嫌ならよそへ行けばいい!!゛といわれたり……。あのときの傷はいつまでも残っています」
不妊治療の現場で、そうとう痛い目にあったらしい。

これがきっかけとなり、クリニックのホームページを作成した際に、その片隅に“不妊でお悩みの方へ”という1ページを加えた。不妊カップルのアドバイスをはじめ、その後、本格的に不妊に悩む女性のフォローアップするようになったという。それが、口コミのように広がり、不妊症を得意とする内科医の存在をしらしめることとなったのだ。

しかし、放生さん、自身の体験を売りにしたくない、とそのあたりはあまり触れようとしない。

「不妊治療では本当につらく、悔しい思いもたくさんしました。わかったのは、治療が大きな精神的ストレスを生む、ということ。だからこそ、医師ながら患者と同じ目線に立ち、不妊治療どうするべきか、を考えていきたかったんです。あれから10年。私の苦労話なんかよりできるだけ患者さんの喜びの声を載せてくださいね(笑い)」

最初はとっつきにくい印象を受けた。けれども、打ち解けてくると、顔がクシャクシャっとなるほど何度も笑い、意外とチャーミングだ。

そんな放生さんの元へは、毎日のように次のようなメールが届く。

〈どうしたら平常心で不妊治療を続けられますか?〉
〈子どもはほしいけれど、もう二度とあのような治療はしたくない〉
〈どうしたら気持ちを楽にもって妊娠を待てますか〉
〈夫が協力的でないのですが、どのようにしたらいいのでしょうか〉
〈もう赤ちゃんは諦めたほうがいいのでしょうか〉

パソコンの向こうには、ギリギリの選択を迫られている女性たちの顔が浮かぶ。「ほっとけない!!」と、パソコンのモニターを真剣な眼差しで見つめる放生さん。

「10組に1組のカップルが不妊といわれていますが、果たして本当にそうなのか疑問です。不妊治療をやめたら妊娠した、つらい治療と妊娠へのプレッシャーから解放され、その後自然妊娠したというケースがたくさんありました。だから、子どもができない→不妊症→不妊治療という険しいレールではなく、まず、原点にかえり、一緒に自然な妊娠を考えていくようにしたのです」

分野は違えども、不妊治療の経験者として、同じ医療に携わる者として、自分にできることはないだろうか?

困っている人がいたら助けたい。分野の垣根を超え、手を差し伸べたい――。
そんな強い思いが、不妊に取り組む内科医・放生勲の出発点なのだ。

△ページの先頭へ戻る

カウンセリング
◆第2章◆

「いまでも忘れられない光景があるんです」 それは――。

「不妊治療を受ける女性が婦人科へ行くと、妊婦さんと一緒にごちゃまぜになって待合室や診察室に入れられる。そして、混んでいるから詳しい説明もない。ひょっとして、不妊治療を受けたらますます不妊が悪くなってしまうんではないかと、確信に近いものがありました」

病院内には、お腹の大きな妊婦が隣に座り、出産を終えた患者のためのドーナッツ座布団があちらこちらにある。診察では、質問させない雰囲気が漂う。カーテン1枚を隔て、体外受精を受ける女性の隣に出産をむかえる女性の分娩台があった。

出産。それはどんなにつらく苦しくとも待望の赤ちゃんとの対面が待っている。しかし、不妊治療を受ける女性の場合、100%成功するとは限らない。むしろ、悲痛な思いで少ない可能性に賭けているといっても過言ではない。そんな希望と絶望が混在する不妊治療の現場を経験した。

そして、なお一層傷つけたのは、体外受精が終わり、休んでいる患者にむかって、 「いつまで休んでいるんです。ベッド代を取りますよ!!」

「同じ医療機関でこのような体験を聞き、思わず身体が凍りつきました。それが私の不妊治療の原風景になっているのです」

同じ医療の世界に生きるものとして放置できない。その医師を呼びだし諭すと、
「分娩をやめろと言うのか」 と、開き直った。

「そこの病院は、もともと産婦人科で不妊治療はやっていませんでした。看護師はお産のプロとしては、申し分なかったのかもしれませんが、不妊治療のエキスパートではなかったのかもしれません。もっとも、その医療機関はその後、分娩業務からは全面撤退してしまいました」

放生さんは、産婦人科としての診療と不妊治療は、まったく別ものだと警鐘する。
(医療は人の心を無視して成り立つものだろうか?)

1999年、開業して、間もない頃のことだった。
「実際、当初から何人もの方が相談にみえました」
慣れない分野ながらも、自身の体験と相談を受けるため知識を増やしたことが幸いした。

目の前で肩を落とす女性に、
「あなたはまだ自然妊娠を期待できると思いますから、もう少し自分たちでチャレンジしてみたらどうですか」
と、基礎体温表の詳しいつけ方などを教えた。

「中でも、この人はあきらかに妊娠を阻害する因子がある人には゛あなたは何々先生の所へいった方がいいですよ゛と他の病院を紹介したり、いずれにしても自分のところには責任というゲタをおかずに相談や紹介だけをしていました」

そのような日々の中で、ある患者をきっかけに、不妊治療へグッと引き寄せられる一言に遭遇する。

「クリニックにひとりの女性がやってきました。その人は排卵に合わせてセックスをする『タイミング法』という一番最初の段階の不妊治療を受けていましたがダメだったので、その後に人工授精を1回したけれど妊娠しなかった。それで相談にみえました」

すっかり憔悴している女性にむかい、放生さんはしごく当たり前のことをいった。
「人工授精まだ1回だしね、まだもうちょっと優秀な先生のところでやったら、妊娠期待できるのではないですか」

すると、女性は激しく首を横に振り、
「たしかに子どもがほしいという気持ちに変わりはありません。でもあの経験をもう一度するのかと思うと、とてもじゃないけど不妊治療なんか二度とやりたくないんです」

涙を溜め、抗議する女性を前に、沸々と医師としての闘志がわいてきた。

「まあ、実際はそんなにカッコいいもんじゃありませんけど(笑い)。自分も医者として、なんかもう逃げられないという気持ちがありましたね」

こうして、責任をもち不妊のフォローアップすることとなった第一号の患者が誕生した。2000年に『不妊ルーム』を立ち上げて、間もなくの出来事だ。

「これまでずっと思っていたのは、基礎体温表と排卵日検査薬をうまく使うと、妊娠へのナビゲーションができるのではないか? それでも当時はまだ私も自信がなかったので、婦人科の先生にメールで相談したりしながらやっていました」

たどり着いたのが、いたってシンプル。

① 基礎体温表をきちんとつける
② 排卵日検査薬を使って排卵日を予測する
③ セックスの回数を増やす

その甲斐があり、この患者は妊娠にいたったのだ。

「子宮卵管造影検査を依頼したのですが、その検査を受けた周期に妊娠をしたんですね。彼女と同じような状況にある人をフォローアップを始めたら、幸いなことに妊娠をする人が月を追うごとに増えていったんです」

自分の方向性は間違ってないなかった、という確信と、患者の喜びの声が今日まで放生さんを支えている。

△ページの先頭へ戻る

カウンセリング
◆第3章◆

1,100人を超える妊娠に携わってきた中で、忘れられない患者がいる。
1980年代、土曜の夜の人気番組『オールナイトフジ』の初代オールナイターズとして活躍した片岡聖子さん(45)がそのひとり。1986年には女優としてデビュー。舞台で共演した日本舞踊家の 帆之亟(はんのじょう)(若柳汎之亟から改名)さんと5年間の交際を経て1998年、33歳で結婚。

「子どもがほしくて結婚したようなもんなんですよ。でも、結婚すればすぐ赤ちゃんができるかなって思っていましたが、なかなかできませんでした。それでも漠然と゛いつかはできる、本気を出せば大丈夫!!゛って心のどこかにありました。それがとうとう37歳になって゛これはまずいぞー゛って(苦笑)」

焦りがあった。けれども、結婚後、軌道に乗ってきた仕事のスピードは緩めたくない。 女性がぶつかる壁である。

すでに不妊症という危機を感じ治療を受けていたが、うまくいかなかった。何かをしなくてはならないと思い、インターネットを開く。そこで目に入ったのが、こまえクリニックの『不妊ルーム』のページだった。

放生さんは、彼女が来院したときのことを、こう振り返る。
「彼女には芸能人特有の華やかさと、ツンツンした感じがありましたね。来るなり゛舞台があるからいまは妊娠ができない。でも時間が取れるようになったら、すぐにでも妊娠したい゛というようなことをいってきたのです。子宮内膜症があり、年齢も年齢なので、すぐにでも始めるほうがよかったのですけど」

その物のいい方から、彼女は是が非でも子どもがほしいとは映らなかったという。それでも、フォローアップしますと、彼女にいった。そのとき片岡さんは、
「私は子どもがほしかったけれど、やはり仕事優先で。そんな中でも治療をしなければと思い、産婦人科にいくと検査から始まります。それよりも私はまず相談をしたかったのです。だから先生がきちんと話を聞いてくれて、まずは基礎体温表からはじめましょうといわれて、とてもワクワクしたんですよ」

とにかく漢方薬で身体のリズムを整え、妊娠しやすい日を正確に予測できるようにしていく。子宮内膜症のある片岡さんの妊娠は、やはり困難を極めた。そこで彼女の気持ちを支えたのは、ほかでもない、放生さんの、゛ちょっとそっけない態度゛だった。

「今回もダメでした。と報告すると先生は、゛あっ、そう゛という感じで、慰めたり、大丈夫ですよとか軽々しいことはいわない。無理ならムリです、とハッキリいうし。この場合、゛ダメなんて普通のことだよ゛という感じで、淡々としていたんです。そんな先生と一緒だと、ダメでも落ち込まないで前向きにいられました」

しかし、片岡さんの治療が半年におよんだとき、放生さんは、こう切りだした。

「うちでは無理かもしれません。あなたに一番いい病院を紹介しますので」
見放されてしまったという悲しさはあったものの、片岡さんは、まだ心のどこかで希望の光はすぐそばにあると信じていた。

「それが、紹介された総合病院でも゛妊娠は難しい゛といわれてしまって……」
(子どもがいない生活なんて考えられない……)
溢れ出す涙を拭う事もなく、病院を後にした。
その後、体調が悪く、気がつくと生理がきていない。 

放生さんが、当時を振り返る。
「彼女はうちに通っているときすでに妊娠していたのです。
 私のほうが゛奇跡だ!!゛ってビックリでしたね」

片岡さんもこういって笑う。
「子どもができたとわかったときは、手が震えてグルグル歩き回って小パニックを起こしてしまいました!」 現在は7歳になった息子さんとご主人と賑やかな家庭を築いている。

片岡さんは、今回取材に応じたことについて、
「放生先生と出会ったチャンスを生かせなかったら、きっと子どもはいなかったと思います。先生には本当に感謝しています。不妊治療をはじめて、自分がそういう立場になってはじめて若いときによく検査をしておけばよかったって思いました。年齢は1年でも半年でも早いほうがいい。決して゛すればできる゛っていうものではありませんから」

自分のようになってほしくない。若いうちから不妊についての知識を身につけ、何かあればきちんと治療をしてほしい。若者も不妊について意識をしてほしいと、強く願っていた。

△ページの先頭へ戻る

カウンセリング
◆第4章◆

診察に加え、時間ができるとパソコンを開き、メールチェック、ブログの更新、新しい本の執筆など、とにかく忙しい日々を送る放生さん。

「毎日相談のメールも届きますが、゛先生、あのときの子どもが生まれました゛というメールが一番うれしいです」

お礼のメールには、よく写真が添付されている。開くと、柔らかい肌の天使のような赤ちゃんの姿が目に飛び込む。

「胎嚢確認ができたら、産科に引き継いでしまうでしょ。だから、その後を知らせるメールに励まされますね」

こういいながら、メールではなく、一通の封筒を取り出した。患者としてフォローアップしていた鈴木知子さん(34)からのお礼の手紙だ。

鈴木さんは、放生さんの本を読み、クリニックを訪れた患者だ。看護師の職に就いている鈴木さんは、8年の交際を経て、2007年5月に結婚。

「当時31歳。籍を入れたらすぐに子どもがほしいと夫婦で話をしていて、避妊を解除したらすぐに子供が授かると思っていました」

半年後の年末になっても子宝に恵まれなかった。「何で授からないのだろう?何か原因があるのだろうか?」という気持ちが日に日に強くなり考えた末、近くの産婦人科を受診。しかし、その診療は想像とは全く違うものだった。

初診にもかかわらず、何の説明もないまま内診台へ。そして市に提出する子宮ガン検診が行われ、サインを求められた。

「勇気をだして婦人科の門をたたいたのに、この対応は何なのだろう? 受診する前よりもやりきれない気持ちが強くなりましたが、どうすることもできませんでした」

その後については手紙に書いてある通りだが、やはりタイムリミットギリギリでの妊娠となった。 

〈12月8日深夜に3722グラムの男の子を無事出産しました。先生との出会いは『妊娠レッスン』の本でした。そのときの私は、赤ちゃんがほしいのになかなか授からないと、毎月の生理がくるたびに精神的に追い詰められていました。この時、産婦人科に通院していましたが、不十分な説明や機械的な対応に不信感をもっており、通うことがストレスとなり、さらに落ち込んでいました。このままではいけない、何か前向きになれるような本を読もうとたどりついたのが先生の本でした〉

放生さんは届いた手紙をここまで読むと、ふと自分が執筆した本を手に取り、感慨深げにじっと見つめた。そして、ふたたび続きを読み始めた。

〈じっくりと時間をかけてフォローしていただける先生の診察は、医師と患者の距離感にストレスがなく、とてもありがたかったです。 こまえクリニックに通うようになってから、本当に私の生活も変わりました。体温表をつけるのも楽しくなり、大嫌いだった漢方を飲む事もすっかり生活の一部になっていきました。 先生には゛夫婦力゛のことも教わりました。妊娠できなかった期間は、夫婦間の事、子どもの事、これからの人生の事などを夫婦2人で沢山話し合いました。それは、貴重で大切な時間になったと感じています〉

結局、鈴木さん夫婦は子作りをしながらも趣味のツーリングや新しく住む場所を探したりして過ごしていた時の妊娠だった。

〈出産後、一か月が経過し、この手でわが子を抱ける喜びをかみしめながら、2人で奮闘しています。まずは夫婦仲良く健康に、2人で息子にたくさんの愛情を注いで大切に育てていきたいと思います。1年8か月間、本当にありがとうございました〉

放生さんの机の上にある自然の土色をしたペアのコーヒーカップ。放生さんは大切そうに両手で包みこむ。

「これね、鈴木さんがお礼に手作りのカップをプレゼントしてくれたんです。ほら、裏を見て」

 2009.5.10 ありがとう

鈴木さんの家を訪ねると、満面の笑みで迎えてくれた知子さん。スヤスヤ眠る誕生したばかりの息子を、やさしく胸に抱いている。

「ワァー、先生カップ使ってくれているのですか? あのカップの裏に刻んだ文字に、私たち夫婦の感謝の気持ちを精一杯に込めました」

その頃、クリニックでは、手作りのコーヒーカップを片手に、くつろぐ放生さんの姿があった。

「こんないい話もありますが、もちろんうちでは難しい場合その方に一番だと思う病院を紹介します。また、不妊治療はやめどきが難しい。これは、不妊治療を10年間続けた45歳の女性からのお礼のメールです」

〈確かにそういってほしかったのだと思います。ここまで治療をがんばってきた私たち夫婦には、とても自分たちだけで踏ん切りをつけることができなかったでしょう。振り返れば、私たち夫婦には、桜の花を美しいと感じる心の余裕もありませんでした〉

保険が適用されない不妊治療。タイミング療法からはじまり、高度先端医療の体外受精の場合、1回で30万円以上、顕微授精は40から50万円かかり、不妊治療を進めて行けばいくほど、何百万円という莫大な費用がかかってしまう。

「赤ちゃんがほしいという願いをかなえるために、身体的、経済的負担を強いられるカップルはたくさんいます。けれども、どんなにがんばっても赤ちゃんに恵まれないカップルはいるのです。長く続ければ続けるほど、赤ちゃんへの思いはつのると思いますが、いつかは決断をしなくてはならないときもきます。それでも、不妊治療をリタイアすることが妊娠をあきらめることではないことも知っておいてください」

前出の片岡さんはいう。
「先生と出会い、不妊にいたるまでに何があったのか、自分に何が起きていたのかという事実を知りました。いろいろな奇跡が積み重なって子どもが生まれるんですよね」

片岡さんの後日談を、放生さんが懐述する。
「出産から4年以上経ったある日、彼女が子どもを連れてひょっこりやってきました。2人目がほしいんです。っていわれて、思わずビックリしました」

すでに41歳。
小さな息子を膝に抱く片岡さんに向かって放生さんは、こういった。

「2人目を真剣に考えるより、この子をいとおしむことが何よりも大切じゃないかな」

人生悲喜こもごも。親子の絆、夫婦の絆を育てる、こまえクリニック。

放生先生は、
「不妊治療の負の連鎖にハマってしまったら、いったん立ち止まって考えてください」

子どもがいなくても幸せに暮らす夫婦もいる。
ただし、女性として生まれた以上、生命の誕生、その神秘の魅力から逃れる術は、誰も知らない。

もしも治療の最中に、心が氷のように冷たく固まってしまったなら……。一度後ろを振り返ってみたらどうだろう。

そこには、あなたを大切に支える人の愛のつぼみが宿っているのだから――。



取材・文/藤本美郷
撮影/須藤光広

カウンセリング
カウンセリングのご予約はこちらからどうぞ  匿名による無料メール不妊相談を受付中です  お問合せはお気軽にどうぞ
  • カウンセリング
  • 匿名による不妊相談を受付中です
  • お問合せはお気軽にどうぞ
こまえクリニック院長の書籍出版案内です

≪2014年4月4日 新刊のご案内≫

新・妊娠レッスン
「不妊ルーム」のカウンセリングが安価な文庫本になりました!

40歳以上の妊娠例も多数!妊娠力が確実にアップする3つの法則をご紹介

>>> 院長の著書一覧はこちら

こまえクリニックについて
院長ブログ:「不妊ルーム」の窓から
 
妊娠に役立つ情報
PICK UP!
アクセスMAP

こまえクリニック 地図
クリックで拡大します

〒201-0014
東京都狛江市東和泉1-31-27
小田急線狛江駅南口徒歩1分
電話:03-5438-2525

診療受付時間のご案内
■診療受付時間
 月・火・金
午前9:00~12:20
午後4:00~6:50
 木   曜
午前9:00~12:20
午後6:00~8:50
 土   曜
午前9:00~12:20
 日   曜
午前10:00~12:50
(第2・第4)
■休診日
水曜・日曜(第1・3・5)・祝祭日

ご感想、お問い合わせは
メールはこちらメールでお気軽にどうぞ

△ページの先頭へ戻る